生涯愛した女性がこの世を去ったあとに書いた手紙で子孫まで泣かせた朝鮮の王
今で言うなら執事をしていた父のもとで育った幼い娘は豊かではない暮らし向きゆえに宮殿に入ることになった。
宮で少女は袖先が赤く染まった服を着た。この服は宮殿で一生を過ごさなければならない宮女になったことを意味する。
10歳そこそこの少女は宮殿で暮らしながら、自分よりひとつ年上の少年に出会った。
数学に人並み外れた才能を見せた少年は少女に数学を教えた。時には一緒にままごとをしてかけがえのない親友になった。
そうして少年は自分でも気づかぬうちに少女への切ない気持ちを育んでいった。
数年が過ぎただろうか。15歳になった少年は少女に自分の想いを告白した。そばで一生を共にしてほしいと。しかし少女は涙を見せながら少年の気持ちを拒んだ。
“世孫嬪がいらっしゃいます。世孫嬪がまだお子を生んでいないのに私が承恩を受けることはできません”
少女にとって少年はあまりにも過分な人だった。朝鮮の世孫として誕生した彼は、英祖大王に次いで朝鮮の王になる人。朝鮮22代国王 正祖イサンその人だった。
後宮なってほしいという少年の告白を断った宮女は、その後にも一度の告白を断った。しかしサンはこれ以上ねだらなかった。そうして三十になるまで一人の宮女に対する片思いを育ててきた。
そして15年ぶりに再び伝えた三度目の告白に宮女は初めてその気持ちを受け入れた。その少女がまさに正祖の後宮である宜嬪成氏、ソンドギムだ。
伝わる貞純王后の教旨や丁若鏞の記録によれば正祖は女性を近くに置かないことで有名だった。
自らの初恋、それも一介の宮女だった彼女に二度も振られたにもかかわらず正祖は15年という長い歳月を待った末に初恋を叶えることができた。
丁若鏞(人物):朝鮮後期の文臣であり実学者·著述者·詩人·哲学者·科学者·工学者。 (参考)
婚姻してやっとドギムと幸せな日々を送ることができた正祖。しかしその時間はあまりに短かった。ともにすると約束してから、たった5年でドギムが病に倒れ、この世を去ったのだ。
ドギムが逝った日、彼女は自らの居所を訪ねてきた正祖に”こちらへ行くことになり申し訳ございません”と最期の挨拶を残した。
正祖は”行くな。行くな。そっちに行ってはならない。”と最期を惜しんだ。
実録にはドギムが死んでから数日間、正祖が政事を行った記録を見つけることができない。また、ドギムがこの世を去った重熙堂を自分の執務室として使用し、ほとんどの時間を過ごしたという。
ドギムがこの世を去った後も長い時間恋しさに捕らわれた正祖は届けることのできない手紙に自分の気持ちを込めた。
‘如何にして死に、人生を終えるのか。私はいまだに君が死んだのか死んでいないのかはっきりできずにいる。君が再び生き返ってこの世に戻ってくるのを待っている’
‘この恋しさが届いて君が強く叶えるのなら君が再びこの世に戻ってきて宮に来るのだ。心の真ん中が本当に淋しくて焦がれて、剣で切るように痛い’
‘愛してる。君は遠くに旅立った’
‘私はあの世にも行けない。君もまた、私が悲しみを忘れることができないことを悲しむだろう。そうだろうか。そうではないだろうか。愛する君は善良で、物知りで、聡明で、賢く、明るく、道理をわきまえ、正しく、礼儀を守る人だ’
‘それなのに君の命はどうしてこうも儚いのか’
‘安らかに休みなさい。今私が君のためにしてあげられることはこれしかないんだ。愛してる’
二人の切ないラブストーリーは最近MBCドラマ’옷소매 붉은 끝동(袖先赤いクットン)’で再誕生し、毎回好評を得て話題を集めているところだ。
출처, 원문:
한평생 사랑한 여자가 세상 떠난 후에 쓴 편지로 후손들까지 울린 조선의 임금
https://m.insight.co.kr/news/373861
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